府中(東京)の女性

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インタビュー

A・Mさんインタビュー

今日は10年以上DV(ドメスティック・バイオレンス 配偶者からの暴力)に関してかかわっているA・Mさんに、どういう気持ちで活動されてきたかをインタビューしました。A・Mさんの意向により名前表示をイニシャルとしました。

「女性に対する暴力」に関する調査研究
http://www.gender.go.jp/e-vaw/chousa/index.html
「男女間における暴力に関する調査」平成18年4月は内閣府が配偶者等から暴力を受けた人で現在自立又は自立に向けて生活している人へアンケート調査を実施、回答をえた799人の結果が公表されていますので、参考にご覧ください。

藤田 今日はよろしくお願いいたします。府中にはいつ頃からお住まいですか?

A・M 1959(昭和34)年に両親、兄、弟、妹と杉並から府中に引っ越してきたんです。当時、私は伊勢丹(新宿)で働いていて家から通っていました。その後、結婚して一度笹塚に住んだのですが、すぐに実家の近くに越してきましたから、ずっと府中です。

藤田 さっそくなんですが、DVって夫(元夫や同居の恋人なども含む)からの暴力のことなんですか?
 DV防止法によれば配偶者となっているので、妻の暴力も含まれるのではって思うのですが?
注:DV防止法とは配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律の略2001(平成13)年に施行され、その後何度か改正されている

A・M  DVって私が活動を始めた頃は夫からの暴力が問題でした。それに妻からの暴力は数からいっても少ないと思います。

藤田 2005(平成17)年11~12 月に内閣府で無作為に行った「男女間における暴力に関する調査」では、身体的暴行、心理的攻撃、性的強要のいずれかを何度も受けたことがあると答えた人が女性では10.6%、男性では2.6%ですね。

A・M  DVの被害でいうとダメージの大きなものは女性に圧倒的に多いと思います。

藤田 DVにかかわったきっかけは何だったのでしょうか?

A・M 話が長くなるんですけど、子どもの頃のことが元です。私は中国の北京で生まれて5歳のとき日本に引き揚げてきました。
 私の兄は跡取り息子ということで大事にされていたんです。兄が悪くて喧嘩になっても怒られるのはいつも私。腹が立つから兄に向かっていったら、私は腕力があるでしょう、兄を泣かしてしまって(笑)で、また母に怒られる。「あなたは女なんだから・・・」って言われて。
 理不尽だと思いましたね。なぜ私が悪くないのに女だから我慢しなくちゃならないのかなって。だから、新聞や雑誌で取り上げられる女性問題には関心がありました。
 1968(昭和43)年に結婚したけれど仕事は続けました。でもね、仕事が終わって家に戻ると何もしないで夫が待ってました。それで「早くに帰ったときは炊飯器でご飯を炊いて欲しい。何でもいいから夕食の用意をして欲しい」って夫に言ったら、それから私より遅く帰るようになったのです(笑)

藤田 そうなんですか(笑)

A・M そうです(笑) 夫は母親になんでもしてもらっていたみたいで、下着一枚自分で出そうとしないから、私はたんすに「下着」「靴下」なんて書いた紙を貼り付けて、自分で出してもらうようにしました。一緒に働いているから、家事は分担するのが当然だと思ったんです。
 ずっと働き続けたかったけれど、私の両親の体調が悪くなって面倒をみなくちゃならなかった上に、妊娠して体調をくずしたので仕事は辞めました。
 私は夫婦はちゃんと話し合うべきだと思っていて、夫に話しかけるんですが、夫は「1言うと10返ってくるから怖い」って言うんですよ(笑)
 そうそうDVの活動を始めたのは、娘を溺愛していた夫が進路のことで娘に手をあげたことがあったからです。娘はもう大学生だったのですよ。1度だけなんですが、それが発端です。

藤田 そうだったのですか。それで実際の活動は?

A・M  女性問題で活動をしている多摩女性ネットワーク事務局で知りあった人たちと民間シェルター(DV被害を受けている人を保護する場所)を作ろうということになったのです。
 それで1995(平成7)年11月 渋谷区神宮前に東京ウィメンズプラザが開館されたとき、そこでグループAKKの立ち上げがあり、最初から参加したのです。
 私も何か役に立ちたいと考え、自宅敷地内の使っていない1棟をDV被害者のために開放しようと思いました。でも同じ敷地内でのシェルターは危ないと言われたのでステップハウスとして家を提供したのです。
注:ステップハウスとはシェルターに一時預けられた女性や子どもが自立するための技術などを学ぶ期間に生活する場所のこと
 生活費などの費用はすべてAKKもちでした。私は費用については一切タッチしなかったのですが、その家には多いときで7人くらい住んでいたので水道代だけでもばかにならなかったらしい。
 助成金は申請すれば必ず出るとは限らずそんなに多くはなくて、会費やカンパもなかなか集まらないので、結局そこはクローズすることになったんです。3年間くらいは続けていたのだけれど・・・

藤田 そういう活動を継続していくのはとても大変ですよね。それでその後どうされたのですか?

A・M 1993(平成5)年から続けていた「多摩でDVを考える会」で被害者支援やDVの理解を深める講演会を開くなどの活動をしながら「府中DVを考える会」を立ち上げたんです。そのとき作成したリーフレット(簡易な説明書)が都内の学校教材として利用されました。
 その「府中DVを考える会」で力になってもらった人が2年前に亡くなって、私も体調不良となって今は休止状態です。

藤田 DVで変だなと思うのは、なんで暴力をふるっている夫が平気な顔をしてそのまま生活を続け、被害を受けた妻がこそこそ隠れて生活しなければならないのかということです。

A・M そうですね。今アメリカでは、夫が家を出されるって聞いています。日本でもDV法を改正したりしているけれど、なかなか進んでいませんね。
 それに、暴力を振るわれた女性が自分も悪いからこんなことをされるんだって思う人が多いのです。ひどい目にあわされるようなことはどう考えてもないのに。

藤田 DVは病気なのではって思うのです。だって大事にしなければならないはずの妻を心身ともに痛めつけているんですよね。夫が病気だと自覚して、治療を受ければ治るのでは?

A・M 病気かしらね。私は、妻を自分の所有物のように思っている人がDVをするのだと思います。支配している者が言うことをきかないのが腹が立つ。そうでしょう、他人にはしないんですから。それに外で受けたストレスを弱いものにぶつけているのだと思います。だって自分よりも強いものに暴力を振るわないでしょう。自分が優位で反撃されないから。
 話は変わるんですが、フランスにシェルターの見学したとき聞いたのです。DV被害を受けた女性たちは教会から脱会するそうなんです。それは宗教が男女差別を生んでいるからで、そのことを知って本当に驚きました。

藤田 DVだと分かったときに妻は離婚を考えないのでしょうか?

A・M 自立してやっていけない女性が多いからではないかしら。住まいは自分名義ではないし、家計や貯金を夫が握っていたりして。若い人は蓄えがないのに小さな子どもをかかえていたりすると、とても別れられないのではって思います。
 お金ある人は弁護士たてて慰謝料をもらって別れられるけれど、お金のない人はどうしようもないでしょう。
 だから、私は教育が大事だと思います。小さい頃から相手を尊重することを教えないとって。
 それに、府中には文化センターなどたくさんの施設があるのでDVについての勉強会や講座をもっとたくさんする必要があると思います。実現できるように働きかけていくつもりです。

藤田 今日は貴重なお話をありがとうございました。
これからも体調を整えて頑張っていただきたいと思います。


プロフィール

fujita

Author:fujita
fujita emi

2005年9月府中市女性史編さん実行委員(2008年3月発刊)となったことがきっかけとなって今回のブログを始めることとなった。
府中の女性の仕事や活動をいろいろ紹介していきたい。

趣味
山歩き
芸術鑑賞(美術、映画、観劇)
読書




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