府中(東京)の女性

.26

府中の女性

松浦三知子さん

松浦三知子さんが先月16日に亡くなられました。98歳でした。
松浦さんと初めて会ったのは、ちょうど10年前の2000(平成12)年
女性フォーラムの実行委員会でのことでした。
車いすでいらしたのですが、すっくと立たれて話されました。
薄紫の素敵なスカーフをされていたのが印象的でした。

話の中で
「府中に女性史を作らなければならない。先人の苦労や努力を伝えなければならない」
というような話をされたのを思い出します。
その時は、私自身が女性史に関わるとは思いもしてませんでしたけれど・・・

その後、私は「府中の女性史をつくる会」や、2005年に発足した府中市女性史編さん実行委員として、
松浦さんに3度のインタビューしました。

松浦さんは戦後まもなく鎌倉から府中(当時の多磨村)に引っ越しました。
当初、村の人たちからは「来り者」(よそもの)と呼ばれましたが、
3人の子どもたちが小学校に入り、松浦さんはPTA会長や副会長となり、
地域とのつながりが深くなってきてからは様子が変わりました。
松浦さんの話し方は優しくて、話の内容はみんなが納得するものでした。
1951(昭和26)年、地域の人たちから推されて村議会議員に立候補し、トップ当選しました。
議員活動は1期(4年)でしたが、その後も府中市の教育委員、自治会会長などをされました。
そして、市川房江さんと出会い、日本婦人有権者同盟に入り、
60年日本婦人有権者同盟府中支部を立ち上げて活動をし、
87年から4年間日本婦人有権者同盟代表を務めました。


こういう経歴をもっている松浦さんですが、
インタビュー時に、えらぶるところが少しもなく、淡々と話されました。
自分のことより、他に活動されていた人の話が中心となりましたが、
「平和。女性がしっかり参画して、2度と戦争を起こさないようにしなくては」
ということは必ず言われました。
そのとき、手作りの眼鏡ケースを頂戴しました。ご自分で一針一針刺してつくられたもので、今も大切に使っています。

松浦三知子さんの葬儀に参列して、
府中女性の一つの時代が終わったと感じたと同時に、松浦さんが創ってくださった土台に、みんなでしっかりとした家を築かなければと思いました。



プロフィール

fujita

Author:fujita
fujita emi

2005年9月府中市女性史編さん実行委員(2008年3月発刊)となったことがきっかけとなって今回のブログを始めることとなった。
府中の女性の仕事や活動をいろいろ紹介していきたい。

趣味
山歩き
芸術鑑賞(美術、映画、観劇)
読書




最新トラックバック



検索フォーム
ブロとも申請フォーム
QRコード
QRコード

RSSフィード 管理者ページ